叱らない子育ての先には、大人になってから社会についていくことが難しくなるという、別の厳しさがあるように感じます。 たとえ家庭でその機会が得られなかったとしても、社会の中で、厳しさと向き合うことを学べる機会があることが大切なのだと思います。
導入から2年が過ぎた頃、園長の西條様から「叱らない子育ての先には、大人になってから社会についていくことが難しくなるという、別の厳しさがあるように感じます」という趣旨のお話がありました。この「社会の厳しさと向き合うこと」について、西條様、トレニアに毎日ご回答くださっている従業員のK様、2歳の男の子の保護者I様にお話を伺いました。
保育園ソレイユ(以下ソレイユ)様は、「従業員の皆様が、社会の厳しさと向き合い、社会人としての土台となる力を向上させていく」取り組みのひとつとして、トレニアをご活用くださっています。こうした取り組みをされているソレイユ様は、保護者のI様から見て、どのような保育園ですか?
I様(保護者)本当にいい保育園です。これまで、つらかったときに何度も先生方に助けていただいています。例えば、私が入院した時に「一人で寂しくないですか」と保育園にいる息子の動画を送ってくださったり、体調が悪くて仕事を休んでいた時期に、休んでいるのに子供を預けることが申し訳なくて「お昼には迎えに行きます」と言ったら、先生方が「ちゃんと預けてもらって大丈夫ですよ。ママの体調が大切です」と言ってくださったり。「この保育園でよかった」と思ったことが何度もあります。もともと「保育園は家から近くて、規模が大きすぎないところがいい」と何気なく選んだのですが、ここに決めて本当に良かったと思っています。
西條様(園長)少人数の園だからこそ、杓子定規ではない人情味のある保育をしたいと思っています。もちろん法令を守ることが大前提ですが、あとは臨機応変に、「どうしたら最善を尽くせるか」を考えて行動することが大切だと考えています。それを現場で先生たち一人ひとりが考えて、一生懸命やってくださっていることには私も感謝しています。トレニアを続けているのは、そういった考え方の基盤を作りたいという思いもあります。
K様(従業員)トレニアには働く上での基盤となる「やっぱり大切だな」と思うことが出てきます。保育の現場では、社会に出てすぐに専門的な仕事から始まることが多く、社会人としての基本的な考え方や作法などを学ぶ機会はなかなかないんですね。私自身は一般職出身で、教育という点ではある程度の厳しさもあった世代なので、その頃の経験が支えになっています。個人的に、勉強したり資格を取ることが趣味のようなところもあるのですが(笑)、その根底には、何をするにも「拠り所」があれば自信を持って行動できるという気持ちがあります。トレニアに出てくる「社会の常識」のようなことは、若い先生であれば知らないこともあると思いますし、私自身も再確認ができます。私は息子が3人いて一番下は高校1年なのですが、ときどきトレニアを見せて「どれが正解だと思う?」と聞いてみたりもしています。
西條様(園長)活用してくださっていて嬉しいです(笑)。トレニアを導入した背景には、世代間の価値観のずれや、従業員定着の難しさといった課題もありました。近年は先生たちのなかにも繊細な方が増えていて、フィードバックをするときの伝え方にいっそうの配慮が必要になっていますが、仕事をしていく上では、違う意見や厳しい内容を伝えることは避けられません。そのときに働くうえでの共通認識をお互いに持っていれば、「意地悪で言われているわけじゃないんだ」ということが分かり、言う側も言われる側も、みんなが楽になれるのではと、そんなところもトレニアに期待しています。Iさんは美容師さんですが、業界が違っても同じような悩みはありますか?
I様(保護者)まさに今悩んでいるところです…。いま20代くらいだと、世代的に、学校であまり叱られずに過ごしてきた人が多いんですね。さらに社会人になってからも、人手不足で辞められたら困るので会社として強く言えないという状況です。その結果、極端に打たれ弱くなっている20代のスタッフもいて、注意や指摘をされたとき素直に謝ることができず、お客様から少し何か言われたときにも言い返してしまって、本部に苦情が入ったりもしています。周りにもしわ寄せが出てしまうのでなんとかしなくてはと思いつつ、厳しく言えば拒絶される、柔らかく伝えたら響かない。それが続くと、周りも何も言わなくなってしまうんですよね。私自身はいわゆる「ゆとり」と呼ばれる世代ですが、美容師になった頃は厳しく育ててもらえる文化がありました。当時は理不尽に感じたり、つらくて辞めたくなることもありましたが、いま振り返ると、あの時代が全くダメだったとは思えず、むしろその経験があってよかったと感じます。
どのような業界でも、周囲からの指摘を受け止めることができないと、成長・改善していくのは難しいですよね。
I様(保護者)私の職場の例では、その(打たれ弱いように見える)本人は、人から何か指摘されたり叱られたときに「相手は自分のことが気に食わないから怒っている」と受け取っているように見えます。叱られた経験や、それを自分のなかで咀嚼して乗り越えてきた経験があまりにも少ないと、そう感じてしまうのかもしれません。
西條様(園長)それはあるかもしれませんね。小さい頃からご家庭でも学校でも「褒めて伸ばす」だけで育てられてきた方の中には、ほんの少し何か言われただけで、それを全否定のように受け取ってしまう方がいるのを感じます。一時期、うちの園でも離職が続いたことがありました。そのときに感じたのは、そういう「打たれ弱さ」から、些細なことで仕事が嫌になって辞めてしまう、けれども辞めた後にどこにいってもまた同じ問題が起こって、その結果、転職を繰り返してしまうケースが増えているということでした。
K様(従業員)新卒3年以内の転職も当たり前のようになっていますね。うちは長男と次男が社会人8年目と4年目で、2人とも新卒で入った会社に今も勤務しているのですが、同期は全員やめてしまったそうです。息子たちも、2年目くらいにしんどそうにしていた時期もありましたが、親として、愚痴を聞いたり、ときには「どうしても無理なら辞めてもいいんだよ」と言いながら、一方では社会人の先輩として厳しめのアドバイスをしたり、振り返りに付き合ったりしながら見守ってきました。もちろん家庭でできることはほんの一部で、勤め先の上司や先輩方、同業者の方、様々な方に支えていただきながら、目標を見つけて続けることができているのかなと思います。ブラック企業などは別の問題ですが、職場で厳しく指導していただいたときに、それを受け止めることができるかどうかで変わるのかなと思います。
I様(保護者)周りの人が掛けてくれた言葉をネガティブに受け止めてしまうのは、自分を客観視できていないことが原因のように思います。主観と感情で受け取って、「嫌なことを言われた」「不快だった」で思考が止まってしまう。言われたらすぐ拗ねる、ミスをしても謝らないという態度になるのは、相手がどう感じるだろうというのを全く考えていないからだと思うんです。なぜ相手は自分にその言葉を掛けてくれたのか、自分がこの先どう成長していけるのかを、少し距離を置いて考えることができれば、同じ言葉でも受け止め方は変わってくるのにと思います。
西條様(園長)何か指摘されたとき、本来であれば傷つく必要などなくて、「これは勉強する機会なんだ」と捉えればいいだけなんですよね。でも、叱られた経験が少ないと、そう考えるのは難しいのだと思います。問題は、「嫌なことを言われた」と拒否し続けていると、やがて誰も何も言ってくれなくなることです。本人は孤立するだけでなく、間違いを教えてもらったり学んだりする機会を失ってしまうことになります。それが冒頭の「叱らない子育ての先には、大人になってから社会についていくことが難しくなるという、別の厳しさがある」という話につながります。
I様(保護者)指摘を受け止めることは本当に大切ですね。何でも上司の言いなりになりなさいということではなくて、言われたことを受け止めて、向き合って、自分のなかできちんと考えて悩んで、「芯」となるものを作っていけばいいと思うんです。その過程では、上司と議論をすることもあるでしょうし、それが「生意気」に見えることもあるかもしれませんが、それを問題だとは思いません。ですが、芯がなくて、ただ上司に言われたことが気に入らないといって反抗するのでは、子供のイヤイヤ期と同じだなって…。
西條様(園長)イヤイヤ期でも、叱られて学んでいければいいのですが…。ちなみに、幼少時のイヤイヤ期に叱られずに育つと、反抗期もなくなることが多いようです。イヤと言って、叱られて、反抗して、そこから成長するという一連の経験がなくなってしまうんですね。親御さん側も、子供とぶつかってまで言い合うことをせず、イヤと言われたら、なんでも受け入れてしまう。そうやって反抗したり、ぶつかったりする経験がないまま育つと、繊細で傷つきやすかったり、優しいけれど自分の軸を持てないまま成長してしまうように思います。
反抗期が無いというのは、一見良いことのようですが、成長という面では別の意味合いがあるのですね。繊細な方が増えている背景として、幼少期からの教育の影響は大きいと思われますか。
I様(保護者)はい。私自身は母親として、育てる親の責任は大きいと思っています。周りを見ていると「叱らない育児」を違う意味に捉えてしまっている方もいらっしゃるのかなと感じることがあります。叱らないというのは感情的に怒らないということであって、子どもに対してなぜダメなのかを理路整然と説明したり、冷静に伝えることは必要だと思うのですが、その機会まで減ってしまっているように感じます。
K様(従業員)子供に寄り添うことは大切ですが、大人が言いなりになって、子供の「やだ」という命令を聞いて言いなりになっているような状況は「なにかが違うのではないか?」と感じます。本来であれば「何がいけないのか」「なぜいけないのか」をきちんと伝えることが大切で、家庭でその基礎ができていないと、学校や社会に出てから指摘や注意を受けたときにも、単に怒られているのか教えていただいているのかの区別がつかず、「嫌なことを言われた」「怒られた」という受け止め方になってしまうのかなと思います。
I様(保護者)教えることが難しくなっていますよね。1つとても印象に残っている出来事があって、ある店舗で店長を任されていたとき、新しい方が入ってきて、ブランクがあるけれど頑張りたいということで、私が1日ついて色々教えたことがありました。とてもやる気のある様子で、しっかりメモを取りながら「すごい、こうやればいいんですね」なんて言ってくれたりして、いい人が来てくれたなと嬉しかったんです。それなのに、次の日、来なかったんです。
K様(従業員)えー。どうしてですか?
I様(保護者)いまも理由はわからないんです。電話一本、本人ではなく代行業者から掛かってきて、それで終わりでした。もちろん辞める権利はありますし、退職自体を否定するつもりはないんです。でも、その人が来るという前提でお店は動いていて、多くの人たちが準備をしたり楽しみにしていた、そういう人と人の関わりがあるなかで、責めるとか怒るとかではなく、「どうして辞めるの?」と尋ねる機会はあってもいいのに、そういうやりとりもないままリセットできてしまうんだなと。一緒にいる間すごくいい人だなと思っていて、年齢も私と2つか3つくらいしか違わなかったので、いまも大きなモヤモヤとともに印象に残っています。
西條様(園長)退職代行は、他人と向き合えない人が増えていることから生まれた仕組みなのかなと感じますね。それにしても、今日お話していて、Iさんはお若いのに、私たちと話が合うというか、しっかりされていることがすごいなと思っています。若い世代の中にも、Iさんのような方もいらっしゃる。これは何が違うんだろうと思うんですよね。ご家庭での教育も関係しているのでしょうか。
I様(保護者)そうですね。うちは母がすごく厳しかったです。挨拶などは本当に厳しく言われて育ちました。私が何かやりたいと言ったときには、それが本気なのか、やり切る覚悟があるのかを試されるようなこともありました。例えば美容師には小学校5年生の頃からなりたかったのですが、それもずっと反対されていたんです。今思えば試されていたんだろうなとわかりますが、当時はなぜわかってもらえないのかと苦しい気持ちになることもありました。ちなみに母自身は高校中退のいわゆる不良だった時期があって、18歳で姉を産んでいるんです。そういう経験があったからこそ、母なりに思うところもあったのかなと思います。
西條様(園長)お母様としては、教えてあげたい気持ちが溢れていたのでしょうね。厳しく教えるにはそれだけエネルギーが要りますから。今の時代は、どちらかというと教えることを避けがちな親御さんも多いように思います。それがお子様のためになっているのか考えると、叱られた経験がないというのは、ある意味では「静かな放置」と同じなのではと感じることもあります。Iさんのように親御さんが厳しさを持って育ててくださったということは、今の時代においては大きなアドバンテージだと思います。ただ、子供の頃に叱られる機会がなかったとしても、社会に出てからでも厳しさと向き合うチャンスはあります。上司、先輩、お客様、トレニアもそのひとつになりますね。そうした機会が目の前にあったときに、自分の責任で厳しさと向き合って人生を変えていけることが大切なんだと思います。
I様(保護者)そうですね。それに、家庭や学校でどのような教育を受けてきたかに関わらず、社会人1、2年目は、色々学ぶ時期だと思うんです。私自身を振り返っても、1年目の頃は結構生意気で、先輩に向かって「私はこう思います」と食ってかかるようなこともありました。後輩たちを見ていても、1、2年目の頃に生意気な子は割といるんです。ただ、みんなそこから上司に教えてもらったり、注意されたりしながら、少しずつ打たれ強くなって、最終的に社会人として出来上がっていく感覚があります。それが今は、その中で「打たれ強くなる」という段階までたどり着けない、会社や環境のせいにして「リセット」してしまう人が増えていることが課題なのかもしれません。
「厳しさと向き合う」ことについて、それぞれの立場からのお考えをお聞かせください。
I様(保護者)世の中全体として「子育てを厳しくしない方向」に進んでいるからこそ、私たち親がどう考えるのかが問われる場面も多いと感じます。たとえば今、おむつをはずすトイレトレーニングをしない人が増えているんですね。子供も嫌がるし、失敗すると掃除も大変だから、自然にとれるのを待てばいいんじゃないかと、そういう情報がSNSにもあふれています。こういうとき、つい自分にとって楽なほうに目が向いてしまいがちですが、「それでいいのかな」「何が本当に子供のためになるのかな」と、自分の頭でいったん考えてみる視点は忘れないようにしたいと思っています。
K様(従業員)「厳しくしない」ことを選択すれば、当然、それに応じた結果も出てきます。小学校の先生に聞いた話では、例えば体操着に着替えるといった「自分でできること」のレベルが、最近は昔と比べて1年ほど遅くなっている傾向があるそうです。この傾向が大人になるまで続いていくのだとすれば、どこかで帳尻を合わせなければならない時がきます。私自身、3人の息子を育てて痛感したのは、子供としっかり一緒に過ごして時間を掛けなければ、「育てる」というのは本当に難しいということです。保育士としては、もちろん親御さんそれぞれに考え方やご事情がある中で、ご家庭の親子関係などにも想いをめぐらせながら、子どもたちのために何ができるのかを考え、みんなで支え合える手立てを模索していければと思っています。
西條様(園長)叱られることや、そこから学ぶ機会が減っている一方で、それでも「成長したい」「よりよく生きたい」と感じている方は決して少なくありません。もし家庭の中でその機会が得られなかったとしても、社会の中で、厳しさと向き合うことを学べる機会があることが大切なのだと思います。これはもちろん、昭和のような時代に戻ればよいという話ではなく、「厳しさと向き合う選択・権利」を勝手に奪うのではなく、多くの人に開かれていて欲しいということです。私がトレニアを必要だと感じるのも、毎日そこに気づかせてくれるからです。今はスマートフォンやAIが普及し、情報はいくらでも手に入れられる時代です。そして、私たちの思考や価値観は「普段触れているもの」の影響を受けて構築されていきます。だからこそ、単に刺激的であったり心地よかったりする情報に浸り流されるのではなく、自ら「よい情報」を得ようとしたか、痛みのなかで学ぼうとしたかによって、その後の結果が大きく変わってくると思っています。
本日はお忙しいなか、ありがとうございました。
